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高知から松山へ その2


    
  土産物屋兼、闘犬センター兼、長尾鶏飼育場に到着! 1階の土産物屋には試食がたくさんおいてある。 闘犬のぬいぐるみのコーナーにはネプチューンの原田の写真がある。 奥の方の水槽にはワタリガニとアカメがいた。 この場所からちらっと闘犬の飼育場がみえる。

    
  幕末から明治時代に盛んだった闘犬がほぼ毎日行われている。 ガイドがはじめつく。 見学料はその時は犬が闘ってないので長尾鳥見学込みで500円。 闘ってるときはたしか大人2000円。 土佐闘犬はもともとイノシシ狩りの土佐犬とブルドックなどをかけあわせてできた。 足攻めや喉攻めなどで相手を追い詰めていく、というビデオを見た。 やったらヒフがのびていた。

     
  相撲の土俵に見立てた柵に囲まれた闘技場で行われる。 写真ではわかりにくいが土俵の四隅には小さくて背の高いイスがある。 そこには飼い主が座るらしい。 鳴き声をあげたり、戦意を喪失したとみなされると負けで時間は約4分。 右から2つ目の写真は横綱を運ぶ長尾鶏の描かれた籠。 化粧まわしをつけた横綱のお披露目や飼育場の見学などもある。

     
 

2階では国の特別天然記念物に指定されている珍鳥の長尾鶏が見られる。 長尾鶏は藩政時代にはすでに飼育されており土佐山内家二代目藩主山内忠義が、参勤交代の折に矛先にこの長尾鶏の羽根を付け自慢しながら出発したと言われる。長い毛だけは抜けずに一年に1m近く伸びる。尾の長さの今までの最高記録は、18年間生きて13mの長さが最高でギネスブックに出ている。 尾の伸びる鶏を見分けるのは、1年たってかららしい。その中から約1500匹位の中の一匹位でなかなかいいのは生まれない。 他の鳥はまともな漢字の名前だったが、一匹だけカムカムというふざけた名前のがいた。理由を聞いたらよく人を噛むからだそうだ。尾が長いだけではダメで性格も良く無いと価値は低いらしい。木の箱に入れられている。


    
  ぐだぐだしている元横綱。目つきが悪い。

    
 

1階の土産物屋からもなんとなく見えていた闘犬の赤ちゃん達。さわってもいいらしい。右は噛むのでおりの中。今はこんなにかわいいのにもうしばらくすると元横綱のようになるとは。


   
  桂浜で讃岐うどん(550円)を食べる。 これまた美味しくはなかった。もっと香川でうどんを食べておけば良かったと後悔した。 「ビールが好きやき、ラガーが好きながよ」 この広告を見たらビールを飲みたくなった。 いつの間にか人がわんさかいる。 のんびり桂浜付近を散歩したいなら早朝の方がいいかも。

12:15 バスではりまや橋に戻る。

今日中に松山まで行きたいので高知駅周辺で作戦をねる。四国一周が旅の目的なので高知からJRでいけるとこまで西に行ってRが途切れたところで高速バスに乗る予定。途中で旅行代理店があったのでバスの時間についての質問をした。知らないようなので駅の案内センターに向かう。そこでいろいろ聞いた所によると、高知駅から高速バスで3500円かかる。途中の駅から行った場合も3000円以上かかる。しかも途中の駅から行く場合には列車の移動に時間がとられて観光できない上にバスの本数が非常に少ない。あと計画では1日だけは青春18切符を使用しない日が必要だった。高知城や竜馬の生まれた場所にも行きたかったので高知から高速バスに乗ることにした。


    
  高知駅から少々歩いて高知城(高知県重要文化財、別名:鷹城)に到着! 1600年の関ケ原の戦いで西軍に付いた長宗我部氏は領地を没収され 山内一豊が関ヶ原戦の功績により徳川家康から土佐一国を拝領した。 1601年に大高坂山に新城の築城工事を開始。 1603年に城の大部分が完成し入城。 旧領主であった長宗我部氏の遺臣に手を焼き、力を示すために築城したらしい。 また、この遺臣達は郷士という独特の身分に組み込まれていき、幕末まで対立を残した。 山内一豊の銅像は城となりの高知県立文学館にある。 1727年に城下町の大火で追手門を残してほとんどが消失。 1753年に再建、今日にいたる。

   
  左の写真は追手門。 写真には写っていないが門の右側でホームレスが寝ていた。 門の前の通りではタクシーのおっちゃんに声をかけられる。 門の両側を大きな石垣で積み上げて、門前が升形状にしてある。 これは石垣の上にある挟間塀の三方から攻撃できるようにしたもの。

    
  「板垣死すとも自由は死せず」の板垣退助の銅像。 左手にある石段は守るのにおりやすく、 攻めるのに上がりにくい丁度よい足幅になっているとか。 つまり上がるのはとても疲れる。 野面積みは自然石を積み上げたもので、一見すると表面は乱雑な積み方であるが 奥行きのある石を積み、隙間に小石や砂利を詰め込んであるので、 非常に堅固で排水にも優れた工法だそうだ。 築城当時の石垣工事では穴納役と呼ばれる技術者が活躍したらしい。

   
  石垣をこえると「内助の功」の元祖として有名な千代夫人と馬の像がある。 のちに知ったがNHK06年大河ドラマは「功名が辻〜山内一豊の妻〜」。 千代役が仲間由紀恵、一豊役が上川隆也 。 その先にはアイス屋がいる。夏場だけらしい。 「高知名物アイスクリン」。アイスクリンは高知県の人が発明したらしい。 「土佐の夏はこれがないとはじまらんがじゃきに。 高知へきたら、買うて行っとうせよ」 買って無いが普通のアイスとひと味違い旨いらしい。

     
  全国でも、本丸御殿が残るのは高知城だけらしい。

     
  柱、門扉などに多数の小鉄板が打ちつけてあるので黒鉄門と名付けられている。 城内の塀や壁に無数にあけられたこの穴は 狭間(さま)といわれるもので、敵に対し弓や鉄砲を撃つためにあけられたもの。 1603年8月、本丸が完成して一豊が浦戸から入城し、 大高坂山に新たに名を付けることになる。 真如寺在川和尚は南北の川にはさまれた土地であるので、 河中山と名付けてはという意見で、河中山に決定した。 ところが、それ以降たびたび水害に悩まされ、 河中という地名が悪いということになった。 そこで二代藩主忠義はあらためて五台山竹林寺の空鏡和尚に相談した。 空鏡和尚は文殊の高い智恵にちなんで、呼び方の同じ高智を提案。 その意味を入れて高智山と改めた。 いつからか智の字が知となりこれが現在の高知の名の起こりとされているそうだ。

     
  山内神社へ行く途中で土佐の街路市をやっていた。

    
  山内容堂の銅像。 山内神社宝物資料館がそばにある。 山内神社から歩きで龍馬の生まれた場所へ。 大通りに面していてビルとビルの間にある。 近くにある龍馬の生まれたまち記念館(300円)へ。 「まっことよう来たねえ、ゆっくり見とうせ」 桂浜の記念館と比べると地味かも。

     
  極真三好道場。聖徳太子と兎の像。 高知を出る前にくじら料理(1800円)を食べる。 この旅ではじめて落ち着いてごはんを食べた気がする。

18:00 高知駅から南国EXPバスで道後温泉のある松山へ!


「松山 道後温泉」

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1.東京から高松へ

6.高知から松山へその2

2.高松から徳島へその1

7.松山 道後温泉

3.高松から徳島へその2

8.松山その2

4.徳島から高知

9.松山その3

5.高知から松山へその1

10.帰路 

 

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