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北海道への旅

青森から仙台へ

    
 

3:00 函館に到着!朝日がきれい。巨大な蛾がいた。

雪の季節は右の写真の感じらしい。

5:35 青森に到着!

そういえばはまなすに乗車中、切符をチェックされなかった。

6:10 青森を出発!

8:16 八戸に到着!謎のヒーローHAYATE

 

 

  

 

「おんでやぁんせ八戸」

八戸市には昔から、カッパについての昔話や民話が数多く残されている。そのカッパは八戸では「メドツ」と呼ばれている。 五十年ほど前、新井田から類家に流れる新井田川の上流のほうに、大きな「てんぐ岩」と呼ばれていた岩があったそうだ。その岩の近くでは、その当時、船を貸していて、河の底のジャリをつって売る「ジャリつり」という仕事があったらしい。 しかし、多くつろうと遠くのほうへ行くと、カッパに足をひっぱられ、もどって来れなくなる、と言われていた。

旬な源義経

8:56 青い森鉄道で八戸を出発!

 

 

  

 

八戸で買った駅弁を食べながら進む。

途中から乗客が増えるので乗車すぐに食べないときびしい。

八戸小唄寿司 1100円 

 

 

  

 

さんまの柚子寿司 630円 穴子いくら寿司 1000円

10:54 盛岡に到着!

むかし、今の盛岡がたいそうさびしい所だったころ、北山近くに岩手山が噴火した時に飛んできたと言われる「三ツ石」という石がありました。 ある時、このあたりに羅刹鬼という鬼が出てきて、村人をさらったり、いろんな悪さをしました。鬼の乱暴に我慢できなくなった村人は三ツ石の神さまに鬼退治をお願いしました。神さまも鬼の乱暴を見ていたので、早速、神通力で羅刹鬼を捕らえました。  神さまはこの鬼を三ツ石の中に閉じこめてしまおうとしましたが、鬼は泣いて謝って、もう、決して乱暴はしませんといいました。そこで、神さまはかわいそうにと思い、もう二度とこの地方には入って来ないと約束させて、三ツ石の上にべったりと鬼の手形を押させました。そして、鬼をこの地方から追い出してしました。 今でも雨があがった後などには、この三ツ石の上に、大きな手形見えるそうです。 このことから、この地方を「岩手」と呼ぶようになりました。

盛岡のはずれ、外山におじいさんとおばあさんが住んでいました。二人は尻尾の先が白い、黒い牛「流れ星」を飼っていました。  ある日の朝、牛小屋から流れ星がいなくなりました。その日の昼、流れ星は疲れた顔で帰ってきました。また翌日も同じです。  心配したおじいさんが流れ星の後をつけていくと、何と流れ星は、大きな赤い熊と戦っていました。しかしまた引き分けです。そこでおじいさんとおばあさんは流れ星の角に油を塗りつけました。翌日の朝、流れ星はまた熊と戦います。熊が流れ星の角をつかもうとすると、油で滑って、角は熊の胸に突き刺さり、熊は倒れました。  後で聞くと、その熊は乱暴者で、たくさん悪さをした熊でした。熊を倒した流れ星は村人にたいそうほめられ、餌をたくさんもらい幸せに暮らしました。

11:06 盛岡を出発!

 

 

  

 

途中に平泉があった。なんと猿と遭遇!

鎌倉時代の初期、頼朝に追われた義経が奥州平泉に逃げていった頃、頼朝には武蔵坊弁慶と渋谷土佐坊昌俊、常陸坊海尊と言う3人の荒法師がいた。ご存じの弁慶は義経に従って平泉への行脚をしたのだが、渋谷土佐坊昌俊は、頼朝の命を受け、義経の後を追ったのですが、弁慶に返り討ちになってしまった。昌俊の子供は親の仇を討とうと後を追ったが、時既に遅く弁慶は死んでしまった。仕方なく、磐梯山の東側に定住した。住んだ村は渋谷村と名付けられた。東京の渋谷はその渋谷村の人が江戸時代に住んだところから付けられたらしい。

12:34 一関に到着!

14:57 仙台に到着!

14:50 快速山形行きで出発!

 

 

  

 

15:48 山寺駅に到着!

山形領に立石寺と云山寺あり。慈覚大師の開基に して、殊清閑の地也。一見すべきよし、人々のすゝ むるに依て、尾花沢よりとつて返し、其間七里ばか り也。日いまだ暮ず。梺の坊に宿かり置て、山上の 堂にのぼる。岩に巌を重て山とし、松栢年旧土石老 て苔滑に、岩上の院々扉を閉て物の音きこえず。岸 をめぐり岩を這て仏閣を拝し、佳景寂寞として心す み行のみおぼゆ。   

閑さや岩にしみ入蝉の声

 

 

  

 

根本中堂。堂内の法灯は1100年間光を放ち続けているらしい。

おみくじには100円なのに特典がついていてオススメ!

 

 

  

 

芭蕉像と曽良像。

曾良は、地誌や神道に詳しい教養人でもあったという。江戸幕府の御庭番(スパイ)を生業としていたなどという説がある。旅の後、曽良が幕府の命で諸国の実情を調べる「巡見使」の御用人という役に就いていたという文献が発見されている。旅に同行した弟子が忍者に必要な情報収集の特殊能力を持ち合わせていたことが伺える。

松尾芭蕉は実は忍者ではなかった推測されるのは、次のような根拠がある。

1、伊賀の出身であること。伊賀は古くから忍者集団の住んでいた土地。伊賀上野で下級武士で ある無足人の家に生まれた。無足人というのは無給という意味。芭蕉の姉は竹下三太夫のもとに嫁いだ。彼は伊賀忍者で あった。芭蕉の母は 上忍の百地家の出であった。 彼の俳句の高弟である服部土芳も伊賀忍者の出である。

2、著書として有名な『奥の細道』をよく読んでみると、一日に十二里、つまり四十八キロも歩いている事。いくら昔の人はよく歩いていたとはいえ、並の体力ではとても不可能なスピードである事。46歳だった芭蕉がとんでもない体力の持ち主、これほど歩くには相当なトレーニングが必要になり、日々厳しい修行を重ねている忍者であれば可能だと考えられる。何しろ、江戸から東北・北陸地方を太平洋沿岸から日本海沿岸にかけて歩き約150日間で約600里(2400キロ)を踏破したことは常人では出来ない。

3、芭蕉が旅したのが、ほとんど徳川幕府の外様大名の領地であり、探察の必要の無い親藩、譜代の領地ではなかったのも有力な根拠の一つ。特に私財の無い芭蕉に長期の旅が可能だったのは、資金が幕府から出ており、全国の大名の状況を忍者によって情報収集していたのはでは。

4、忍者は奈良時代には『細人(しぬび)』と言われていた。狭い所まで入っていける人の意味だが、そこから考えると「(奥の)細道」という言葉も意味深。

5、旅先の大阪で食中毒を患い芭蕉翁が死去した時、 弟子たちが遺品を整理していて忍者刀や手裏剣が見つかった。

 

徳川家康の家臣として、徳川十六将の一人として徳川家に仕えた服部半蔵。 家康は世界で初めて、暗殺だけを目的とした村を設立。 つまり幕府が直轄管理する暗殺専門の忍者村を作った。 この忍者村の長が服部半蔵であったらしい。 半蔵は家康に仕え、要人の暗殺をして天下統一の一旦を担った。 晴れて天下統一を果たした家康は、数々の働き(本能寺の変の際、上洛中の家康を半蔵は一族を挙げて護衛した。これが有名な「伊賀越え」であり、この時に指揮官として、的確に働き家康の命を守った事により、その後も家康から重用される)をした半蔵の功績を称え今も名が残っている「半蔵門」という土地、地名を与え、半蔵へ最大級の賛辞を送ったというのだ。 しかし、半蔵は家康へある願いを申し入れた。 「土地、しかも私の名が地名になるなど勿体無い御言葉。ですが私にはもう一つ御願いが御座います。私を自由にして下さい。日本を自由に旅したいのです。」 この願いを聞き入れた家康は半蔵を自由の身にした。 そう、有名な松尾芭蕉として。 奥の細道は服部半蔵が書いた物なのであるという都市伝説。 元忍者だから老体にして1日相当数の距離を歩けたという説、徳川埋蔵金の在処を指し示す「かごめかごめ」を広める為であるという説、徳川所縁の者であるから藩が違う土地でもフリーパスで渡り歩けたという説が絡んで、この「服部半蔵=松尾芭蕉」同一人物説がある。

「徳川埋蔵金のありか」 By ハローバイバイ 関

徳川の埋蔵金は、3ヶ所に分けて埋めてあるという。 そのうちの2ヶ所はダミーで、本当に埋まっているのは 1ヶ所だけ。 その埋蔵金のありかを示す暗号が、「かごめかごめ」 の歌詞にあるんだとか・・・。

かごめ(篭目)==徳川ゆかりの寺を結んでできる図形

かごの中の鳥=日光

夜明けの晩に=朝日   を示しているんだとか。

実際、朝日に照らされて影が差す方向に徳川の墓、鶴と亀の銅像があり、その後ろにある祠には籠の目のマークがあり、これはその下に埋蔵金が隠されていることをあらわしているそう。 国がこの事実を知っておきながら、その埋蔵金を掘り起こさないのは、 ここを掘り起こすことで、歴史が変わってしまう恐れがあるからだという・・・。

「服部半蔵の正体」 By ハローバイバイ 関

半蔵は、「身を自由にすること」を褒美として家康に求めた。 こうして自由の身になった半蔵は、日本中を旅して回ったという。 この時半蔵が使った偽名が、「松尾芭蕉」だったんだとか・・・。 あの時代、1日400キロもの距離を移動するのは、忍者ででもなければ不可能だった。家康から全国の通行手形をもらっていた半蔵だからこそ、 なしえたことだという。 こうして書かれた「奥の細道」であったが、実はこの旅の目的は 俳句を書くことではなかったそう。 半蔵は、全国に「かごめかごめ」の歌を暗号として残していったんだとか・・・。

 

「旅に病んで夢は枯野を駆けめぐる」

ふもとの売店で力こんにゃくを買う。 100円 

結構うまいが久々にピーナツアレルギー発動!

山に入る前に荷物を預かってくれる。

 

 

  

 

「閑けさや 岩にしみいる 蝉の声」で有名な蝉塚。松尾芭蕉が山寺で読んだ句をしたためた短冊をこの地に埋め、石の塚をたてたもの。

芭蕉の「閑さや岩にしみ入蝉の声」の「蝉」が、どんな蝉であるか、単数か複数かなどにについて多くの議論があり、昭和の初期には、歌人・精神科医の斎藤茂吉(1882〜1953)と、夏目漱石門下で芭蕉研究家の小宮豊隆(1884〜1966)との間で激しい論戦が繰り広げられた。 茂吉はジージーと鳴くアブラゼミであると主張し、小宮はチィーチィーと小さく鳴くニイニイゼミであると主張した。山形県出身の茂吉は、山寺のことだけに一歩も譲ることができずアブラゼミで押し通した。 そのうちに、これらのセミの活動時期を調べ論戦に決着をつけようということになり、実際に山寺に入って調査が行われた。その結果、芭蕉が山寺を訪れた7月13日(新暦。旧暦では5月27日)ごろ鳴き出しているのはニイニイゼミで、山寺界隈ではこのころまだアブラゼミは鳴かないということになり、茂吉が敗れた形で蝉論議は終結した。

 

 

  

  山寺の地形の特徴は、中谷の両側に切り立つ岩盤とそこに見られる大小様々な穴である。この穴は、もろい凝灰岩が、長年にわたる空気や水の作用により徐々に崩れてできたもので、風化穴と呼ばれる。
 

 

  

 

山門から奥の院までの石段の数は870ほどで、山寺全体としては1015段ある。

途中でおばあさんに「今から登るの?大変だよ」と言われてびびった。

途中で飲み物が買えるが高い。

 

 

  

  北海道での台風が嘘のように良い天気でいい景色。
 

 

  

 

終点の奥の院に到着!坊様は無愛想だがおみやげも買える。

 

 

  

 

この灯籠は日本三大灯篭のうちの一つらしい。

  • 世界三大珍味  トリュフ フォアグラ キャビア
  • 日本三大珍味  唐墨(長崎県野母崎町) このわた(三河) うに(越前)
  • 日本三大珍味(新)  くさや(東京都新島本村) ふなずし(滋賀県高島町) 黒作り(富山県富山市)
  • 日本三大ねぎ   下仁田ねぎ(群馬県) 岩津ねぎ(兵庫県) 博多万能ねぎ(福岡県)
  • 日本三大鶏   比内鶏(秋田県) 薩摩シャモ(鹿児島県) 名古屋コーチン(愛知県)
  • 日本三大名城   名古屋城(愛知県名古屋市) 姫路城(兵庫県姫路市) 熊本城(熊本県熊本市)
  • 日本三大水城   高松城(香川県高松市) 今治城(愛媛県今治市) 中津城(大分県中津市)
  • 日本三大山城   岩村城(岐阜県岩村町) 大和高取城(奈良県高取町) 備中松山城(岡山県高梁市)
  • 日本三大鍾乳洞   龍河洞(高知県土佐山田町) 龍泉洞(岩手県岩泉町) 秋芳洞(山口県秋芳町)
  • 日本三大トンネル(道路)   関越トンネル(関越自動車道 群馬・新潟)11055m アクアトンネル(東京湾アクアライン 千葉・神奈川)9583m 恵那山トンネル(中央自動車道 長野・岐阜)8649m
  • 日本三大トンネル(鉄道)   青函トンネル(津軽海峡線 北海道・青森)53850m 大清水トンネル(上越新幹線 新潟・群馬)22221m 新関門トンネル(山陽新幹線 山口・福岡)18713m
  • 日本三大夜景   函館山(北海道函館市) 六甲山(兵庫県神戸市) 稲佐山(長崎県長崎市)
  • 日本三大秘境   白川郷(岐阜県白川村・荘川村・清見村の一部) 祖谷(徳島県池田町・西祖谷山村) 椎葉(宮崎県椎葉村)

 

 

 

  

  重要文化財、三重の塔。非常に地味に扱われている。
 

 

  

  ふもとの駅が小さく見える。
 

 

  

  見晴しの良い五大堂は、正徳4年(1714年)に再建された舞台造りの御堂で、大聖不動明王、東降三世明王など五大明王を安置している。
 

 

  

  五大堂からの景観は山寺随一とされる。
 

 

 

 

「これより先は修行の場所につき、危険ですので

 一般客の登山を禁止します」

結構いろんな所にこの看板があるのでとても気になる。

 

 

  

  ぽっかりとあいた広場。
 

 

 

 

謎の手のお椀から噴水仏像。

四国の石手寺を思い出す。

 

 

  

  17:20 山寺駅で電車が来るのを待つ。風呂に入りたいので温泉に行こうということに。近くに作並温泉があるらしいので出発。
 

 

  

 

18:30 ノープランで作並に到着!

「穴薬師様」 むかしなぁ、作並の山ん中にそれはそれは美しい娘が住んでいたんだと。それはそ れは山ん中といえどもおっ父は自慢の娘でなぁ、その噂は遠く仙台やら最上やらに 伝わっていたんだと。んでなぁ、この娘の家には親兄弟の他にも年中はたらかねぇ でぶらぶらしている叔父がいたんだと。叔父は娘が小さな頃からかわいがってなぁ、 それが娘の成長とともに一人の女としてみるようになってなぁ、いつの日にか二人 は愛し合うようになったんだと。 それでなぁ、意を決した叔父は娘のおっ父に 「娘と結婚させてけねぇか」 って頼んだんだと。それをきいたおっ父は、なんぼ二人が好いあっているっても叔 父と姪なもんだからなぁ、二人のことを許そうとはしなかったんだと。んだども、 二人はあきらめるどころかますます愛し合うようになってなぁ、おっ父は 「んだば、あの崖さ薬師様を奉る岩屋を掘ってけろ。そうしたら認めてやる」 って、できるわけねぇ難題を出したんだと。 叔父はいままでのはたらかねえのが嘘みたいになぁ、岩屋に命がけでへばりついて つるはしをふるってなぁ、季節が変わるのもわからねぇぐらい一心不乱にほってい たんだと。そうして月日は流れ三年目になぁ、薬師様をおさめることができる穴を 掘ることができたんだと。これにはおっ父も認めねぇわけにはいかなくてなぁ、二 人ははれて夫婦になる事ができたんだと。二人は一緒に暮らしてなぁ、めでたいこ とに娘は叔父の子供を身ごもったんだと。二人は生まれてくる子供のことを考えて はまいにちまいにち仲むつまじく暮らしていたんだと。 んだどもなぁ、いざ出産となると難産でなぁ、悲しい事に母子ともに死んでしまっ たんだと。叔父はあまりの悲しみにまいにちまいにち泣いて暮らしていたんだと。 んだどもなぁ、こんな悲しい事は自分ひとりで十分だってなぁ、それからというも のまいにちまいにち薬師様へ行っては穴を掘りつづけてなぁ、七年の歳月をかけて 前よりも立派な岩屋を掘ったんだと。掘り終えるとなぁ、安心したのか叔父も静か に息を引き取ったんだと。 それが作並の岩屋堂にある穴薬師様でなぁ、安産にご利益があるんだってなぁ。

歩きで行くのかと思ってたら送迎バスが駅に待機していた。

電車が来る時間にいるらしい。

日帰りなのに素晴らしいサービス。

 

 

  

 

作並温泉、ゆづくしの湯、一の坊へ到着!

ここの温泉が最高だった!

バスタオル、マッサージチェアも使い放題。

露天の鹿のぞきの湯では照明の具合が良く、これまた最高!

しかし露天にはバスタオルは置いてないので注意!

ロビーでは素人の三味線や尺八のライブをやっていた。

いままで急ぎの旅だった分とてものんびりできた。

 

 

  

 

良い気分で帰りには勿論駅まで送ってくれる。

20:40 作並温泉を出発!

途中で愛子(あやし)という駅があった。

この駅は愛子様フィーバーの時に騒がれたらしい。

 

 

  

 

21:00 仙台に再び到着!

せっかく仙台に来たので牛たんを食べることに。

霜降りたんしお みそ 1800円 ミックス 2000円

ソーセージ 150円 もも 200円 砂肝 200円 シチュー

めちゃうまいが量が少ないのが残念!

23:00 漫画喫茶で夜を明かすことに。1600円

ついつい白カイジの全巻を読破してしまった。

 

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