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この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ。危ぶめば道はなし。踏み出せばその一足が道となりその一足が道となる。迷わず行けよ。行けばわかるさ

 

興業 解説

pancrase

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Pancrase 

船木誠勝、鈴木みのる、高橋義生らによって「史上初の完全実力主義プロレス・総合格闘技団体」として結成されたUWF系団体。Pancrase-ハイブリッド・レスリング=競技者がパンチ、キック、投げ、関節技、絞め技を有効に使い、技術、体力、精神力、知力、運を競い合うプロスポーツ。

近藤有己、菊田早苗、高橋義生、謙吾、前田吉朗、高森啓吾、三浦広光、鈴木みのるほか

「不動心」

近藤有己

1975年7月17日生まれ

新潟県長岡市出身

パンクラスism所属

身長180cm 体重88kg

少林寺拳法二段。1994年に入門。1996年プロデビュー。デビュー後5戦目で鈴木みのるを破る。 1996年、若手選手の登竜門「ネオブラッドトーナメント」では激戦を制し見事優勝。当時ランキング1位のフランク・シャムロックにKO勝ちし以降9連勝を記録。年末には東京プロレス新聞社プロレス大賞新人賞を受賞。 1997年、わずかデビュー1年半にして当時王者の船木誠勝を破る。1999年4月、211cm/112kgのセーム・シュルトを破る。 2000年、「コロシアム2000」に出場。柔術世界大会金メダル獲得4回のヒクソン・グレイシーの一番弟子サウロ・ヒベイロを22秒KOにより撃破。2003年、菊田早苗を破り第3代ライトヘビー級王者に輝く。 尊敬するレスラーはジャイアント馬場、

近藤有己後援会"空我"

船木誠勝

1969年3月13日生まれ

青森県弘前市出身

俳優としては五条霊戦記、シャドー・フューリー、新・日本の首領、ゴジラ・ファイナル・ウォーズ、デビルマンなどに出演。

 

中学を卒業後すぐに新日本プロレスに入団。前田日明、藤原喜明の誘いに応じUWFに入団。SWS(藤原組)を経て、 1993年に鈴木みのる、高橋義生らとともにパンクラスを組織。パンクラス旗揚げ戦メインイベント、ウェイン・シャムロックにKO負け。1996年、バス・ルッテンのもつタイトル、キング・オブ・パンクラス(KOP)に挑戦し、失敗。その際発した「明日また、生きるぞ」は流行語となる。新王者決定トーナメントで第4代のキング・オブ・パンクラシストとなる。2000年、ヒクソン・グレイシーと対戦し、KO負け。試合後のインタビューで引退を表明する。その後は俳優に転身。パンクラスに尽力。エースとして第一線で活躍する一方、運営や方向性の面でも積極的な寄与を行う。2000年に引退を表明し、現在は俳優として活動中。 「ハイブリッド・ボディ」と呼ばれるナチュラルな肉体の鍛錬方法を提唱。
the-KENGO.net謙吾選手のHP

grabaka

菊田早苗

1971年9月10日生まれ

パンクラスGRABAKAに所属する格闘家・プロレスラー。通称寝技世界一。

学生時代に柔道を経験し、全国大会で優勝を果たす。大学を中退し、UWFインターナショナルに入門する。離脱後渡豪し、キックボクシングを習う。帰国後、アマチュアシュートボクシング全国大会重量級を制し、総合格闘技大会トーナメント・オブ・Jも連覇。リングス、PRIDE参戦を経て、1999年、パンクラスに参戦。2000年にはパンクラスの中で外部勢力を集めた新勢力「GRABAKA」を立ち上げた。2001年、寝技世界一決定戦と言われるアブダビコンバットに参戦し、日本人初の優勝を果たした。2002年12月には、GRABAKAジムをオープン。 好きなテレビ番組は世界まる見え。 2005年男祭りでは柔道シドニー金メダリストの 瀧本誠を判定で破る。

高坂剛公式ホームページ

1970年3月6日生

滋賀県草津市出身

181cm 102kg

血液型:A型

柔道4段

趣味:バスフィッシング

特技:電車の中で寝てても目的の駅に着く直前に目を覚ます

好きな食べ物、そうめん、豆腐。好きなミュージシャン、奥田民生、松井常松、THE MAD CAPSULE MARKET'S 好きな俳優:アントニオ・バンデラス 。好きな映画、デスペラード、スティング 。好きな場所、水の上。 嫌いな場所、人ごみの中 。好きな言葉、克己」。中学から柔道を始め、その後正強高校(現奈良大付属高校)、専修大学、東レ柔道部へ。93年リングス入門。1年間の練習生期間を経て94年プロデビュー。S.A.W..の弦巻伸洋をK.O.。 95年にはトーナメント.オブ.Jに出場、決勝でイーゲン・井上を倒し優勝。 96年、キックボクシング世界ヘビー級チャンピオン、モーリス・スミスをリングスマットで倒す。97年、アメリカの組み技なんでもありの大会、コンテンダーズに出場、トム・エリクソンに判定で敗れる。 98年UFC初出場。キモと対戦し、圧勝。 その後98年8月にはアメリカ、シアトルに移住。UFCで日本人初の定期参戦を果たす。 2001年10月帰国。選手を続ける傍ら、アライアンスや総合格闘技の私塾”G-スクエア”を立ち上げる。 2004年、ロン・ウォーターマンを破りパンクラス初代スーパーヘビー級チャンピオンとなる。

興業 解説

deep2001

 

DEEP2001

「あらゆる階級のトップクラスのファイター達が団体の垣根を超えて集う公平なリング」佐伯代表が2001年に名古屋で始める。日本人の体系である軽、中量級を重要視。

桜井"マッハ"速人(マッハ道場)、TAISHO(チームバルボーザジャパン)、深見智之(CMA京都成蹊館)、長南亮、 三島☆ド根性ノ助(総合格闘技道場コブラ会)、田村潔司(U-FILECAMP)ほか

「孤高の天才」

田村潔司

1969年12月7日生まれ

岡山市出身

新生UWF第1回入門テストに合格して1989年デビュー。 1995年、K−1のリングでパトリック・スミスを相手に素手によるバーリ・トゥードを行い秒殺。 リングスに移籍後は「リングス・ジャパン」のエースに就き、無差別級王座を2度獲得した。 2002年、PRIDE初参戦、ボブ・サップ、ヴァンダレイ・シウバ、吉田秀彦といった強豪と対戦。 同年11月には、高田延彦に勝利。 リングス時代下した前田日明と合わせ、U系2大巨匠から白星を得たことでUWFの後継者となる。 『U−STYLE』では2004年8月、初代王座に就き“Uのカリスマ”として頂点に立つ。 自ら設立した「U−FILE CAMP」代表として後進の指導にも当たる。
興業 解説
SHOOT BOXING

1985年、元日本キックボクシング・ウェルター級チャンピオン、シーザー武志によって創設された。パンチ・キック・投げ技・そして立った状態での関節技までを認めた立技総合格闘技。

土井広之、アンディー・サワー、緒形健一ほか

シーザー武志

1955年8月17日生まれ

山口県出身

 

16歳でキックボクシングを始めて1972年にデビュー。 日本キックボクシングのミドル、ウェルター級王座を獲得した。 混乱期に突入したキックボクシング界を飛び出し、理想の格闘技を求め、佐山聡カール・ゴッチと出会う。 投げ技、スタンドでの関節技までも容認したシュートボクシングを創始し、1985年9月に旗揚げした。 自ら牽引者となり、1986年全日本ホーク級初代王者としても活躍。 米国を始め、世界に支部を設立してワールド・シュートボクシング協会も設立した。 名選手を次々輩出し、新生UWF、リングス、K-1とも交流して格闘技界の発展に大きな役割を果たしてきた。 また異色派俳優として映画にも多数出演している。

アンディ・サワー

Andy Souwer

1982年11月9日生まれ

オランダ

キックボクシング出身のオランダ人シュートボクサー。 元来、スーパーウェルター級を主戦場にしており、6つの世界タイトルを保持している(WKA、ISKA、WMTA、WPKA、FIMC、WSBA)。柔道や空手も学んでいた。 22歳という年齢にして100戦を超えるキャリア(試合)を積んでおり、アルバート・クラウス(K-1 WORLD MAX 2003優勝者)とは同門でもあった。 2000年頃からシュートボクシングに参戦し、しだいにキックボクサーではなくシュートボクサーとしてロングスパッツを履いて試合に臨むようになり、2003年にK-1 WORLD MAXに初参戦した時もまたシュートボクシング代表としてスパッツを履き試合に臨んだ。

2005年にはK-1 WORLD MAX 2005に出場し、前年の優勝者ブアカーオ・ポー.プラムックに延長判定勝ちし優勝した。

緒形健一

1974年1月26日生まれ

山口県下関出身

172cm、71kg

柔道、空手を経験後、シュートボクシングでアマチュア選手権連覇。 1994年、デビュー。 2004年、故障にも関わらず『K-1MAX』に出場して武田幸三と対戦。 シーザージム所属、シュートボクシング日本スーパーウェルター級王者。 現在までの通算戦績は38戦27勝(18KO)10敗1引き分け。右利きファイター、得意技はパンチ。
興業 解説

インターナショナル修斗コミッション

修斗とは、初代タイガーマスクとしても知られる佐山聡が創始した、打・投・極の三位一体を目標とする総合格闘技。創始当初はシューティングと呼ばれていたが改名した。 現在は柔術、レスリングなどの技術を取り入れて改良され、質の高い技術レベルを誇る。 他の総合格闘技団体がプロレスの影響を強く受けているのに対し、ボクシングのようにアマチュアからプロまでのヒエラルキーなど、組織がしっかりしている。

桜井"マッハ"速人(マッハ道場)、菊地 昭(K'z FACTORY)、八隅孝平(PARAESTRA)、宇野 薫(和術慧舟會)、石田光洋(Team TOPS)、エンセン井上PUREBRED)ほか

宇野 薫

170cm 73kg

階級ウェルター級

所属:和術慧舟會

 

通称「星の王子様」

1975年5月8日生まれ 神奈川県横須賀市

和術慧舟會東京本部所属。'96年10月、修斗でプロデビュー。99アブダビコンバットレスリング準優勝。'99年5月、佐藤ルミナとの修斗ウエルター級王座決定戦を制す。'00年12月、同タイトルマッチで、再び佐藤を下した直後、ベルト返上を宣言。以後、米国のUFC、自身のプロデュースするコンテンダーズを中心に活躍。最近はKー1にも参戦し活躍している。

宇野薫商店で自身のブランド『UCS』商品を扱う。

桜井“マッハ”速人

本名:櫻井速人

1975年8月24日生まれ

茨城県龍ケ崎市出身地

身長 171cm  体重 80kg

中学校では柔道部に入部。 柔道部引退後、友達の誘いで空手教室に通い始め、新空手全日本大会に出場。 1994年 土浦日大高校卒業。1995年、シュートボクシングのシーザージムで練習するために上京。 初めて出場したアマチュアシュートボクシング大会1回戦はKO負け。その後、アマチュア大会で2回優勝。 1996年、修斗に転向。木口道場に入門。全日本アマチュア修斗ウェルター級優勝。決勝戦の相手は宇野薫。 ウェルター級プロデビュー戦、再び宇野薫を倒してデビュー。1997年、ウェルター級からミドル級に階級を上げる。 1998年、ミドル級チャンピオン。エンセン井上、朝日昇、佐藤ルミナらと共に修斗四天王として君臨。2001年、大阪大会でタイトルを奪われる。自宅敷地内に「修斗マッハ道場」を開く。 2002年、アメリカ・ラスベガスでのUFC36初参戦。2003年からはDEEP、PRIDEでも活躍。2005、プライドライト級で決勝まで行くが五味隆典に敗れる。

桜井“マッハ”速人応援ページ Machweb

エンセン井上

1967年4月15日

ハワイホノルル出身地

元プロラケットボール選手

身長180cm 体重95kg

PUREBRED所属。PUREBRED SHOPでは大和魂グッズも取り扱う。 千葉県のイベント企画会社「イーフォース・ジャパン」社長らが約3500万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、千葉地裁は約2700万円の支払いや車の引き渡しなどを命じた。 判決によると、エンセン井上は1992年、イーフォース・ジャパンを設立。格闘家として多忙になったため95年ごろ、社長に業務を任せた。 2001年、井上さんは社長に独立を申し入れ、Tシャツなど「エンセングッズ」の売り上げの一部を要求。02年3月「いつになったら払うんだ。おれはすぐにでもおまえのことを殺せるんだぞ」などと怒鳴りつけ、はさみで髪を切ったり、グローブでほおを殴ったりして、社長と会社からマンションや車、現金を奪った。また山本“KID”徳郁の姉で、女子レスリング世界選手権を3度制覇した山本美憂とも離婚。

村上和成

1973年11月29日

富山県婦負郡出身

186cm 95kg

村上和成 公式サイト

高校時代より柔道を始め、95年、拓殖大学の先輩に当たる西良典が主宰する和術慧舟會に入門。真・格斗術トライアル・卜一ナメントで総会格闘家としてデビューし、グローブルール重量級で優勝。96年、第3回エクストリーム大会に出場し、TKO勝ち。97年、東京ドームにおける「PRIDE1」に出場し、ジョン・ディクソンに完勝した。順道会館の館長に就任後、JJA(順道柔術アカデミー)を主宰。98年よりUFO所属。99年よりバトラーツに参戦。00年、新日本プロレスに初登場。
ねわざワールド 「寝技を知りたい、練習したい」という人へ場を提供する。
UWFスネークピットジャパン スネークピット・ジャパンは 地球上で唯一 “本物のプロレスリング”を 教えているジム。
サンボ=m日本柔道・柔術の論理やソ連の民族格闘技の利点を集めた格闘技。 プーチン大統領から宇宙飛行士ガガーリンまで、そしてプライドの覇者、 エメリャーエンコ・ヒョードルはサンボの使い手である。

大山 峻護

サンビスト若林次郎

柔道選手として活躍後、サンボや修斗など総合で活躍
リバーサル格闘技ジム

リバーサルがサポートする選手が参加・指導する格闘技ジム。

治政館  武田幸三が所属
グラディエーター 彩柔連ジャパン、道場剛術
ZST 総合格闘技の大会「ZSTゼスト

掣圏道

初代タイガーマスクの佐山聡が、「シューティング(現:修斗)」に続いて理想の格闘技を目指して設立。ボディーガードの養成も行う。プロ部門は市街地での実戦に則った姿を忠実にプロ競技として表現している。タイガーマスクグッズも取り扱う。

 

サイト内リンク 解説
●プロレスの楽しい見方 プロレスとは、そしてプロレスを楽しく見るために心掛けておきたいこととは。プロレスに対する考え方は人それぞれ違います。全くプロレスを知らない人も、プロレスの面白さがわからない人も、一度プロレスを見に行ってみればプロレスの魅力にはまってしまうことは間違いなしです。
●プロレスリング・ノア 三沢が2000年に旗揚げた団体。小橋建太、丸藤正道、KENTA、秋山準、鈴木鼓太郎ほか。
●新日本プロレス

1972年にアントニオ猪木が旗揚げ。ストロングスタイルを掲げ、プロレス最強を唱える。蝶野正洋、天山広吉、棚橋弘至、中邑真輔、永田裕志、獣神サンダー・ライガーほか。

●全日本プロレス 2002年、武藤敬司らが新日本プロレスから移籍、社長に就任。 川田利明、小島 聡、太陽ケア、 カズ・ハヤシ、渕 正信、馳 浩、石狩太一、 諏訪間幸平、R・O・Dほか。
●ZERO-ONE、ハッスル、WWE ZERO-ONE、ハッスル、WWEのプロレス団体と選手の解説とリンク。

●その他プロレス団体

みちのくプロレス、DRAGON GATE、KAIENTAI-DOJO、大坂プロレスなどの団体の解説とリンク。
●フリー選手 天龍源一郎、佐々木健介、高山善廣、鈴木みのる、長州力ほか。
●プロレス歴代MVP

東京スポーツ新聞社制定プロレス大賞MVP選手を見ればプロレスの歴史がわかる。現役ベルト保持者表もあり。

●K-1、PRIDE K-1、PRIDEへのリンク。
●柔道、空手など 講道館や吉田秀彦選手のリンク。
●goods &格闘技関連サイト プロレスや格闘技団体のTシャツやグッズの店のリンク。

 

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