(21)鈴鹿越え    JR関駅→坂下→鈴鹿峠→田村神社→土山

 関から土山までの区間は鈴鹿越えの難所である。この区間はかって東の箱根越えと同様西の難所であった。それは今も変わらない。しかしここを歩いて越そうとする者にとっては、箱根越えより難しいかもしれない。それはこの区間の交通の便が非常に悪いからである。関まではJRの関西線で容易に来ることができる。しかし鈴鹿を越えて土山から帰る交通の便が悪いのである。交通手段としてはJRバスが唯一で、関西線亀山駅から1日に3本、草津線三雲駅から10本くらいしかない。東京から来るとすれば、いずれにしても前日亀山か草津に泊まる必要がある。水口に泊まることが可能ならこのコースを歩くには甚だ都合がよい。私の場合は、関で泊まる予定の旅館に断られ、亀山に戻って駅前ホテルに泊まり、翌朝1番の列車で関まで来てそこから鈴鹿越えし、田村神社を経て水口まで歩いた。水口からは草津までバスを利用しそこからJRで京都経由で東京へ帰った。関から鈴鹿を越え水口まで、この間28kmもある長丁場で、7時間あまりもかかった。ここでは田村神社前で2回に分けて紹介するが、その付近には宿泊施設もなく、交通の便が悪いのでその準備が必要である。
 さてJR関駅から地蔵堂まで歩いてここを出発点にする。ここから1km先に「西の追分」がある。加太街道の分岐で、柘植、上野を経て大和へ出る街道である。分かれ道の前に「南妙法蓮華経」下に「ひたりはいかやまとみち」と刻んだ石標が立って居る。
 ここから国道を歩く。間もなく市ノ瀬橋で旧道に入る。もと立場の市ノ瀬集落である。この集落を過ぎると旧道はなくなり再び国道を行くことになるが、前方に見えて来る山が筆捨山である。狩野某がこの山の風景を絵に移そうと筆を執ったところ、うまく描けずに山間に筆を捨てたという言い伝えがある。今見ると何のへんてつれもない山容だが、画家が描くには難しかったとみえる。その先で弁天橋を渡るが橋の名のもとになった弁天様はない。そのあたりに元一里塚がありその表示がある。ここからやっと国道から離れ旧道を歩くことになる。このあたりが沓掛である。昔立場であった所である。小学校を過ぎ10分程行くと河原谷橋でここから元の坂下宿(さかのした)になる。昔は峠の入り口で、本陣3、脇本陣1、旅籠48軒もあった賑やかな宿場であったようだが、今はすっかり寂れ町並という程のものは残って居ない。僅かに、松屋本陣跡、大竹屋本陣跡、梅屋本陣跡などを表示で見るくらいである。法安寺には先に述べた松屋本陣から移した玄関がある。中橋を渡りしばらく行くと右手崖上に観音堂がある。岩屋観音、清滝の観音という。ここからまた国道を行くことになるがそう長い距離ではない。鈴鹿川の橋の手前で旧道は右に入る。この辺りが江戸時代初期に坂下宿があった所だという。慶安3年(1650)9月洪水があり、山川田畑民屋ことごとく頽廃したため、10丁ばかり下へ宿を移されたと古記録にある。その移された所が前に通過した坂下宿跡である。
細い上り坂の路を行くことしばし、小さな石橋を渡る。ここから急坂を登る路になるが、その手前左手にあるのが片山神社である。鈴鹿大権現という。林の中の荘厳な雰囲気がある。道はかなりの急坂だが五分ほど登ると国道を渡る橋があり、さらに登ってへたばる頃峠の頂上に着く。峠の頂上は平坦な林の中である。この林の中を西へ三百メートルほど行くと鏡岩がある。大きな岩でかっては鏡のように光っていたので、登って来る旅人の姿が映り、それを見て盗賊が旅人を襲ったという伝説がある。
頂上からは緩い下り坂になる。途中台座に万人講とある大きな石の常夜灯が立っている。この先でトンネルを抜けて来た国道に合流する。やがてよの木村、左手に熊野神社が見える。しばらく行くと右へ旧道が分かれ、旧道に入って間もなく地蔵堂の常夜灯があり、その先国道と再び合流する近くにかって山中の一里塚があった。このあたり旧道は国道と縄を綯うように行ったり来たりまた合流したりで下って行く。猪鼻の集落には旧道が少しある。ついで蟹け坂。この先田村川まで畑の中の路である。田村川の先は田村神社の境内だが、昔はこのまま境内に入って神社の参道で直角に曲がり土山の方へ向かっていたという。今それを行くことはできない。そこで田村神社の正面の鳥居前で国道を横切り旧道を行くことになる。その田村神社は鬱蒼たる社叢がある境内の広い神社で、平安初期蝦夷征討で功績のあった坂上田村麻呂を祀る。図会には「祭神、中央、将軍田村麻呂、相殿、東の方、嵯峨天皇、西の方、鈴鹿御前」とあり、「当社旧記に所見なし」とも記している。また創立は崇神天皇の御代という由緒もあり、その後後嵯峨天皇の時坂上田村麻呂の神祠を造り、これと鈴鹿神社を合祀してこの地に祀り田村神社と称したという由緒も伝えられている。


☆行程 
A.JR関駅→西の追分→坂下   約 6km, 2時間
B,坂下→鈴鹿峠→田村神社   約10km. 3時間


☆地図 
国土地理院 5万分の1       亀山



 

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