(10)丸子宿から宇津ノ谷越え  手越→丸子→宇津ノ谷峠→岡部→藤枝

 静岡から先は、古来有名な峠や川、そして歌などに詠まれて来た史跡があり、しかも旧道が比較的よく残って居て、歩くに魅力がある区間が多い。そのうちこの丸子から宇津ノ谷峠を越え藤枝までの区間は一部国道1号線を歩かねばならない区間もあるが、大部分、旧道を行くことができる。またこの国道はバスの便がよいので、国道部分を歩くことが嫌ならそこだけバスを利用してもよい。
 静岡市内は前に述べたように、元の駿府で見るべき所も多いが、ここは割愛し駅前から丸子方面行きのバスに乗り、安倍川橋の先、手越の五叉路付近のバス停で下車する。このあたりは今は大きな道路になって居て歩いてもあまり面白くもないが、かって手越という里で、平安時代から鎌倉時代にかけて宿駅として栄えた所である。「平家物語」に「千手前」(せんじゅのまえ)として登場する、一の谷で捕えられ鎌倉へ送られた平重衡との悲恋のヒロインは、ここ手越の長者の娘と伝えられて居る。室町時代以後、宿駅は毬子に移り手越に代わって繁栄することになる。この広い道を少し行くと左へ行く道がある。そこから旧東海道丸子宿である。まわりは新興住宅地だが、古いたたずまいを残し、昔の面影を偲ぶ何かがある。
 この旧道を行くと丸子橋がある。その手前にとろろ汁で有名な丁字屋があった。広重「東海道五十三次」の絵に「丸子、名物茶屋」とある所で、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」では、弥次喜多がここに立ち寄り、夫婦喧嘩のどたばた騒ぎに巻き込まれ、

「けんくする夫婦は口をとがらして、鳶とろろにすべりこそすれ」

と狂歌をよんだ場面がある。現在ほぼ同じ場所に丁字屋と称する店があり、なかなかの繁盛のようだ。ここを、右すれば柴屋寺への道である。小川沿いの細い風情のある道だが、ここまで大きな車が乗入れて来るのには閉口する。この寺は吐月峰の名で知られる連歌師「宗長」ゆかりの寺で、彼は駿河で生まれ、連歌師の宗祇に学び、上京して大徳寺の一休に師事した。その後應仁の乱の頃にこの地に戻り、今川氏親に仕え連歌師として有名をはせた。なを「吐月峰」と書いて「はいふき」と読ませてきたのもここの竹細工と関係があるという。
 さて丸子橋から旧道は約1kmで国道1号線に合するが、ここから国道を少し戻って橋を渡り、左折して小道を500mほど行くと誓願寺がある。ここには片桐且元夫妻の墓がある。彼は徳川家康の巧妙な離間策で淀君一派と対立し、豊臣家の裏切り者とされて居るが、大阪落城直後に駿府で没しこの地に葬られた。またここには天然記念物「モリアオガエル」がいる。ただし棲息する期間は5月〜7月で私が訪れたのは9月なので確認して居ない。
 国道1号線に戻り、車の多い厭な道を行くこと約30分、国道トンネルの手前に「平橋」という小さな橋がある。そこから左へ登って行く細径が、在原業平の「伊勢物語」で古来知られた「蔦の細道」だとされて居る。
 伊勢物語には「行き行きて、駿河の国にいたりぬ。宇津の山にいたりて、わが入らむとする道は、いと暗う細きに、つた、かへでは繁り、物心ぼそく、すずろなるながめを見ることと思うに、修業者あひたり。"かかる道はいかでいまする"といふのを見れば、見し人なり。京に、その人の御もとにとて、文書きてつく

 「駿河なる宇津の山べのうつつにもゆめにも人にあはぬなりけり」

とあるが今でも細い、人にも会わぬ寂しい道である。
 そこを歩くのもまたよいが、曲がらずに真っすぐ登って行くと宇津ノ谷の集落に入って行く。かなりの勾配の細い坂道の両側に古い家並みが続く。その中に「お羽織屋」と表札を掲げて居る家がある。豊臣秀吉小田原攻めの時拝領した羽織を今に至るまで家宝として伝えて居る。その先にあるのが十団子で有名であった「慶雲寺」である。このあたりの家並みなど一見に値する。
 旧宇津ノ谷峠への道は分かりにくい。私も迷って土地の人に尋ねて登り口を見付けた。かなりの急坂だがそう長い距離ではない。ただ途中暗い林の中を抜ける所は今でも薄気味悪く、歌舞伎の出し物「蔦紅葉宇都谷峠」で、按摩の文弥が重兵衛に殺されて百両を奪われ、それを悪の仁三に現場を見られゆすられる場面があるが、今でもありそううな雰囲気である。この峠を越えて下った所が坂下で、さきの「蔦の細道」を合わすことになる。
 この先一部松並木が残り、岡部宿に入って行く。古い町並が残り、昔の旅籠屋らしい建物も見かける。しっとりとした風情がある。広重の「岡部・宇津の山」の絵は坂下から宇津ノ谷を見上げる構図で今でもそっくりな場面の所がある。岡部から藤枝への道は坦々として居て見るべきものもあまりないが、国道バイパスが別のルートを通り、車に煩わされずのんびり歩けるのが何よりだ。藤枝の市街は大きく、賑やかで、しかも区画整理、道路拡張が行われたので、昔の宿場町はその中に埋もれてしまって居る。藤枝宿のはずれで瀬戸川を渡る。この先で右折して行くのが旧東海道で、真っすぐ行けば藤枝駅に着く。
 なお藤枝市街の南に「田中城址]がある。本町3丁目から入り、国道を越えて行くと、小学校と中学校がある。小学校の前に本丸跡の碑が立っており、このあたりが旧田中城があった所である。元和2年(1616)ここへ家康が鷹狩の帰途立ち寄り、食中毒になり重体のまま駿府に戻り間もなく亡くなったという。その後譜代大名が領して明治に至って居る。

☆行程 
手越→旧丸子宿→宇津ノ谷峠→岡部→藤枝市街→藤枝駅  約15km,5時間    
吐月峰と誓願寺に寄り道して 約20km,6時間半

☆地図 
国土地理院5万分の1  静岡 

 

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