(9)江尻から駿府への旧東海道  清水駅→江尻→草薙神社→長沼→府中→静岡駅

 江尻というと、なじみが薄いが、清水港で有名な清水市の重要な町の部分を占める。辻3丁目で国道と分かれた所からが旧道であり、江尻宿は駅前通りを越した辺から始まる。江尻東のあたりが元の傳馬町。鉤の手に曲がり江尻町に入るが、昔の志茂町、仲町、魚町などの宿三宿に並んで居た旅籠屋は商店街に変わり銀座街といって居る。
 稚児橋を渡り、広い道を越えた先に十字路がある。そこを右折して行くのが旧道。ここから、府中・駿府、現静岡市の中心街まで断続的だが旧道部分がかなり残って居る。ただ清水、静岡間はすっかり都市化され、連坦した一つの都市のようになって居るので、旧道部分とはいえ田園風景は期待できない。また車の往来もかなりあるので、散策のつもりでのんびり歩くというようなコースではない。この点は前回の薩 峠越えのコースとは大分違う。しかし平坦地なのと、距離が短いのでそうきつくはない。
 さて先の十字路で真っすぐ行けば久能道で、久能山への参詣道。清水港、三保へも通じる。途中、清水次郎長の墓があるので有名な梅陰寺の裏手を通る。前述したようにこの十字路を右折して行くのが旧道で、20分程歩いた所が追分。入江の先の十字路からの道ができるまでは、ここが久能道の分岐点であった。この近くの民家の間に五輪塔が立って居る。文久元年(1861)清水次郎長が子分の森の石松の仇、都田吉兵衛(俗に都鳥)を討ったところだという。
 この先、鉄道線路を越えた所が平川地、うばが原ともいった。東海道名所記では、「うばが原、右の方の田中に婆が池とてちいさきいけあり。しるしに松二本あり。」云々とある。今は静岡鉄道、狐ケ崎駅の近くに池があり子安地蔵が祀られて居る。これが前出のうばが池かどうか不明だが、昔はこのあたり池沼多く、篠竹が繁って居たところで、現在もその名残に小さい池が散在して居る。またそこに小さい寺がある。十七山千手寺という。ここに分岐があって久能山への近道がある。
 ここから10分ほど行くと草薙駅前になる。この駅前の角を左折し、かなりの急坂を上ると草薙神社がある。私はここは2度目である。以前は何もない林の中の細い道を上って行った記憶があるが、現在は平地は勿論、周辺の丘も開発され、広大な住宅地の一角に神社の森があるという感じになって居る。
 草薙神社は有名なので誰でも知っているし、また社殿も立派で、境内も鬱蒼とした社叢に包まれて居る。昔からの古社であったと思うのだが、不思議なことに、私の知る限りでは、十六夜日記、東関紀行など中世の紀行文には触れられていない。江戸時代の道中記では前に引用した、東海道名所記や東海道中膝栗毛にも記載がない。東海道名所図会では「駿府より二里ばかり東、草薙村にあり。海道より入る事五町余、鳥居海道に立つ。延喜式内、有度郡三社のうちの一社なり」云々とある。
 ここでもう一つの「クサナギ神社」があることを紹介しておきたい。こちらは「久佐奈岐神社」といい、ここから6kmほど北東の反対側の山裾にある。もと庵原郡庵原村で山切という所である。清水駅から本数は少ないがバス便もある。「時候前」というバス停で降りて田畑の中を少し歩く。社殿も境内も貧弱だが、こちらの方が正統なものとして地元の力で保持されて来た。
 ところで平安時代の編纂の「延喜式神名帳」にはこの両社が載って居る。すなわち延喜式巻第九に、有度郡三座のうち「草薙神社」そして、庵原郡三座のうち「久佐奈岐神社」の記載がある。つまり平安時代初期から字は違うが同名の二社がいずれも国幣を受ける神社として並立して居たことがわかる。
 昭和13年発行(昭和62年復刻再版)の「神道大辞典」によれば、いずれも由緒は殆ど同じ事が書かれており、どちらが正統とはしていない。ただ、草薙神社は中世、武士の尊崇を集め、特に徳川家康が社殿の造営をしたほか、50石の朱印領を寄与し、歴代の将軍も保持して来たので、この方が優勢になったと思われる。明治になって勅使が派遣され、県社になった。久佐奈岐神社は郷社となり地元の氏子たちによって支えられてきた。何故、同じような由緒を持つ神社がこの地に古くから並立して来たのかはわからない。
 旧道は草薙駅前から、なおしばらく続き東名高速道路の下で終わって居る。その先ははっきりしないが、運動場の横の細い道が旧道のようだ。この道は鉄道線路で分断され、線路の北側から国道1号線まで続く。この先、長沼に旧道が500mほど残って居る。ここにはもと一里塚があったというが所在はわからなくなって居る。護国神社前で国道と交差し旧道はまだ続くが、再び鉄道線路で遮られる。迂回して柚の木のガードをくぐり、旧道に出る。昔、曲金村(まがりかね)といって居た所である。学校の横に神社がある。「曲金軍神社」という。この神社については道中記などに載って居ないので由緒は不明。
 再び鉄道の下を通り、国道1号線と交差。このあたりが横田町で、西宮神社の前を経て伝馬町に入る。もと府中宿の中心だった所だが、ビル群に埋没し昔の面影はない。静岡は古くは駿河の府中であり、中世も海道のおさえとして足利氏の支族であった今川氏が支配していた。徳川家康は人質として幼少の頃をこの地で過ごし、晩年天下をとってから、将軍職を秀忠に譲り、大御所として権勢を振るった所で、徳川家にとって由緒の深い所として重要視されて来た。従って徳川家にゆかりのある史跡は多い。清水寺、華陽院、臨済寺など。これらの史跡を見て歩くには、浅間神社の周辺、登呂遺跡まで含めると一日がかりである。

☆行程 
清水駅→江尻→草薙神社→長沼→府中伝馬町→静岡駅  約14km,4時間

☆地図 
人文社 広域都市地図  静岡・清水  

 

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