(5)箱根越え(その1)   (箱根板橋→三枚橋→)畑宿→甘酒茶屋→箱根宿(箱根関跡)

 「箱根の山は天下の嶮 函谷関もものならず」という歌もあるように、小田原から箱根を越え三島まで約32km,昔からの難所であった。現代でも明治時代東海道線は、開通の際、箱根を避けて大きく箱根の外輪山を迂回し、国府津から松田、小山、御殿場を経て沼津へのルートを通った。国道1号線は旧道の須雲川をさかのぼるルートを経由せず、湯本から宮の下、小涌谷を迂回して元箱根に出て居る。現在、旧道と同じルートの近くを有料道路の箱根新道ができて居る。しかし多雨時や積雪時に通行止めになるケースはしばしばある。
 太古は小田原を経由せず、大雄山の入り口である関本から足柄峠を越えて駿河関山・横走りへ出た。平安時代中期の「更級日記」では、作者はこのルートを通って居る。その後鎌倉時代には、箱根火山の噴火で足柄峠が通行不能になったので、湯本の先から、現在ハイキングコースになって居る湯坂越えのルートが開発され芦ノ湯から元箱根へ出るコースになった。湯坂道というが、鎌倉時代の後期十六夜日記の著者阿仏尼はこれを越えている。現在の湯本から畑宿を経て元箱根へ出る旧道のルートは江戸時代になって確保されたルートである。
 さて、箱根越えの旧道歩きとして一番快適なのは、畑宿から元箱根を経て箱根宿(箱根関跡)までの区間である。旧道としては、箱根板橋から一部途切れて居るが三枚橋の手前までの区間、そして三枚橋から畑宿までの区間が立派に舗装された車道として残って居る。畑宿から先は一部旧道そのもではない区間もあるが、石畳の道、林間の道の旧道を歩くことができる。
 箱根板橋からの旧道はわりと静かなたたずまいを見せて居る。右手に地蔵堂があり、広い境内の隅に官軍将兵の碑がある。明治維新で東進して来た官軍の戦死者の霊をとむらったものである。この先800mほど国道1号線を歩く。高速道路の手前で電車の踏み切りを渡って旧道に入る。その踏み切りの際に日蓮上人の旧跡がある。このあたりは風祭という集落。現村上家の邸内に太霊神社があり、村上義光が大塔宮の身代わりになった所からその霊を祀ったものという。また杉並木の参道があり、その奥の丘の上に「長興山紹大寺」がある。ここは春日局を母とする稲葉氏の菩提寺であったが、当時の建物は幕末の火災でほとんど焼失し、春日局と稲葉正勝夫妻の墓が残るのみである。このあたりが入生田、三枚橋の手前で国道1号線に合する。
 三枚橋のあたりは箱根新道ができて、すっかり景観が変わったが、旧道は三枚橋を渡り坂道を上って行く。狭いのに車の往来が多いので閉口する。最初にあるのが、「早雲寺」。立派な寺で早雲をはじめ後北条五代の塚がある。この先が湯本の立場だった所だが、温泉町の裏道という感じになって居る。少し行くと左手にあるのが「正眼寺」で、曽我兄弟の縁者により供養地蔵が建てられたが、明治維新の時本尊の地蔵菩薩等は失われてしまい、裏山の曽我堂に曽我兄弟の像を模したという地蔵像が収められて居る。このあたりは奥湯本といい、大きな温泉旅館が須雲川を挟んで並んで居る。
 車はここを過ぎるとやや少なくなる。また一部分石畳の道が残って居る所もあるが、畑宿までほとんどこの舗装された坂道を歩くことになる。途中に「鑚雲寺」がある。ここには、芝居の「箱根権現霊験躄仇討」に出て来る「初花・勝五郎」の墓がある。実在した人物とは思えないのに、かわいい墓が二つ並んで建てられて居る。
 畑宿は昔は立場だったところで、元、茶屋本陣「茗荷屋」跡がある。この裏の庭園は山の斜面を利用し自然を生かしたもので、よく手入れされており、自由に参観させて居る。畑宿からは、一部車道の区間もあるがほぼ昔の道が修復されて残って居る。従ってハイキングコースとしても歩行にいい区間である。前述した史跡などは別の機会に譲り、湯本からバスで直接来てここから箱根関跡までの旧道を歩くことをすすめたい。東京から来る場合、新宿から小田急の急行で約2時間、朝8時前の急行に乗れば、10時発の畑宿行きのバスに乗れる。バスで約20分、10時半ごろから歩き出して箱根関跡まで約8.5km,2時間半程度、ゆっくり日帰りができる。
 畑宿のバス停の先に「箱根旧街道」の看板があり、その森の中の道へ入って少し行くと「一里塚跡」がある。江戸から23番目のものである。ここから石畳みの道になる。改修されて歩きよくなった。やがて舗装された車道に当たり、その隅の歩道を500mほど歩くことになるが、左手に「自然探勝路」という標識が立ち細い道が別れている。そこを入ると再び石畳みの道になって居る。私は20数年前にこの旧道をたどったことがあるが、このあたりは崩れていて通行不能で別の砂利道のルートを通った記憶がある。そのルートは今舗装され立派になった車道のようである。
 この先、猿滑り坂などの名がついた坂道があるが、そこを過ぎるとちょっとした平らな所に出る。「笈ノ平」といい車道をこえると、石碑が立って居る。親鸞上人が許されて帰京する時同行して来た弟子たちを、東国布教のため残して別れた所だという。この裏道をたどると左手にあるのが「甘酒茶屋」。赤穂浪士の一人、神崎弥五郎の詫び証文で知られた茶屋だが、以前は小さな小屋だったのが今は立派な建物になり、甘酒以外にもいろいろなものを売っているようで、客も多くかなり繁盛して居るようだ。車道が舗装されて立派になったので、ほとんどは車で来た人らしい。
 ここを過ぎると、標高715mの地点があった。ここから畑宿まで6km,元箱根まで1.5kmという標識も建って居る。この先の石畳道は延宝8年(1680)幕府がつくらせ、文久3年(1863)改修され、昭和になって保存の工事が行われたもので、多少手は加えられて居るが、昔の石畳道がそのままの姿で残って居る。この石畳道を少しはずれ、箱根森休憩地に立ち寄ると、休み所と展望所があり、目の前に双子山、下に「お玉ケ池」が見下ろせる。
 もとの石畳道に戻り少し行くと車道と交差するが、そこに古い道標が立って居る。「六道地蔵道」とある。これは芦ノ湯の手前にある六道地蔵への別れ道を示したものである。やがて下り坂になり、芦ノ湖が見えてくる。下りきった所に杉並木があり、石標が立って居る。この杉並木は立派なもので、かなり枯れ、一部欠けて居る区間があるが、全部で420本もあるという。元和元年(1618)に植えられたもので、平均樹齢は370年を越える。
 この杉並木の手前右に大鳥居がある。箱根權現の鳥居でこのあたりが元箱根、芦ノ湖遊覧船が常時発着、定期バス、観光バスで混雑して居る。
 杉並木の道は歩行専用になっており、杉の香に浸りながら、1kmほど歩くと箱根関跡に至る。箱根関跡は復元され、資料館として一般に公開されて居る。

☆行程
A.箱根板橋→三枚橋      約4km,1時間     
B.三枚橋→鎖雲寺→畑宿    約5km,1時間半
C.畑宿→甘酒茶屋→箱根関跡  約8.5km 2時間半

☆地図
人文社 広域都市地図 小田原・箱根

 

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