(1)街道を歩く、その楽しみと意味

 言うまでもなく、太古人類の出現の時から「ヒト」は歩いて来た。二本の脚で。 現代の人も勿論歩いて居る。しかし、どうも今の人の歩き方は、かっての日本人の歩き方とは大分違うようである。「かっての」と言ったが、それはそんなに古い時代との比較ではない。私が生きて来た時とともに、いつの間にか変わってしまったという感じなのである。  つい百年程前までは、日本人はどこへ行くのにも歩いて行くしか方法がなかった。舟運や馬、牛などの畜力を利用することはあったが、それは移動のための補助手段でしかなかった。ところが、明治になり鉄道ができてからこの事情が変わってきた。人の移動の手段の主流は鉄道で、それを利用するために人々は駅まで歩き、それ以外では近隣への用事のためにしか歩くことはなくなって行った。しかし、それでも人々にとって歩くことは、生活の中でかなりのウエイトがあったはずである。
 それがすっかり変わってしまったのは、戦後とくに高度成長期以後である。その原因は自動車の大々的普及のためである。自動車の出現は、言うまでもなく明治の終わり頃である。大正の関東大震災後、東京に「乗合自動車」(バス)が営業開始し、その後間もなく「円タク」と称するタクシーが東京をはじめ各地に出現したことは、先輩方には記憶されて居る方も多いだろう。貨物自動車(トラック)もかなり普及して行った。それらは歩くことを変えたけれども、戦後とくに高度成長期以後の自動車のめざましい普及ほど、人々に歩くことを激変させる程のものではなかった。
 今の人は殆ど歩かない。歩くのは、駅やバス停への往復、昼飯か買い物にビル街を歩く時、或は車庫へ自動車をとりに行く時ぐらいである。幼稚園児でさえも送り迎えのバスか自家用車で通園して居る。これは都会だけではなく、田舎も同様というよりむしろ著しく、田んぼへ行くのにトラックは当たり前で自家用車が使われる場合が多い。
 今や、人々の移動は主として自動車、ついで鉄道、そして飛行機と船によることになり、歩くのは前述のような場合だけになってしまった。レジャーや健康増進のために歩くことはある。ハイキングとか登山とか、これでさえも自動車道が山頂近くまで通じる所が多くなって、その道路の周辺を散策するにとどまることが多い。しかしこれらは、人の歩くことの本源的目的つまり移動のために歩くということとは違うものである。 こうして人々が歩かなくなったために、「道」はすっかり変わった。道は極めて社会性の強いものであり、社会ととに変わる。自動車が移動の手段の主流となるとともに、「道路」は自動車が走り易いように、つくられ、或はつくりかえられた。そのため、自動車の走る必要のない所は捨てられ、或は破壊されてしまった。都会や田舎の生活道路でさえも、自動車の走りやすさの犠牲にされた所が多い。自動車道路によって分断された町は至るところにあり、家の羽目板が自動車の泥ハネで軒並みよごれてしまっている街路、そういう所では車をよけて歩く余地さえもない。このように、いかに自動車を通すかという目的のために、歩くことは完全に無視されてしまった。その象徴は横断歩道橋である。細くて急な階段、あれでは老人や身障者は歩くのやめろというに等しいではないか。
 私が街道歩きをはじめて二十年あまり、こんなわずかな間にも消えて行った道は多い。私は趣味としてドライブもやる。従って車社会を呪う資格もないし、その気もない。しかし人間の移動の本源である『歩く』ことがこんなに虐待され、無視されてよいのか。「歩く動物」の一種である人間の本質までも変えてしまう恐れはないのか。ペットにされマンションの一室に閉じ込められた、よちよち歩きの、ちっちゃな犬たち・犬本来の機能を失ってしまった犬たちを見るにつけ、歩くことを忘れた人間は別のものになりつつあるのではないか。
 私が街道歩きを始めた動機は、健康増進のためである。ただ漫然と歩くよりは目的意識を持って定期的に歩くことを考えた。上記のような実態を知ったのはこの街道歩きの結果である。今道路を歩くことがいかに大変かということを身をもって経験した。だから人はなお歩かなくなっている。そのためか、私が「街道を歩いている」と言うと奇異に感じる人が多い。「何故」という質問とともに、「そんなアホなことを」という気持ちが伝わってくる。しかし同好の士も相当おられる。そういう方々とお互いに経験談を交換しあうのも、私の楽しみの一つである。
 「街道を歩く」ということの最大の楽しみは、そこに、人々の歴史があるからである。かっての人々の営み、今はなくなってしまったとしてもその痕跡は探れるし、また昔の人の旅(たび)の実態にふれることができるからである。
 ドライブ旅行もそれはそれで楽しい。運転する楽しみ、経過地や目的地へ行っての史跡、景勝の探査も悪くない。私も年に数度のドライブ旅行を楽しむ。しかし、それはその場所だけ、つまり点だけを見たのであり、点と点との間を旅(たび)したことにならない。点と点との間の線の旅にこそ、昔の人の旅の喜びも悲しみもあったはずだ。事実そういうところに、隠れた祠や道祖神、或は古い伝説の跡が残っている。それらは街道を点でなく線で歩かなくては見付けられぬものなのである。
 最近、世上で古い宿場、街道などを紹介する出版物が氾濫している。テレビで紹介されることもある。しかしながら、それらには殆どすべて私のいうこの視点が欠けて居る。街道を紹介するといいながら、見せ場の点だけを幾つか大きく取り上げているに止まる。いわば鯛の目玉をくりぬいて「これが鯛でござい」と言っているようなものだ。
 私も街道を歩くために、こうした出版物をずいぶん集めたけれどもあまり参考にはならなかった。県史や市町村史などで旧街道を知るために有益だった本もあったが、道そのものの変貌が激しくて役に立たなかったものも多い。
 私の街道歩きは、近までは青梅街道、御成道から始めて二十年をこす。そのうち一番長いのは、旧東海道を江戸から京まで上り、帰りは中山道を京から江戸までの下りを徒歩ですべてを踏査したコースである。休日や仕事の合間を利用して出掛けたので、全部を歩き通すのに二十一年もの歳月がかかった。そのため旧東海道の或区間はだいぶ前に歩いたので、今ではすっかり変わってしまったところが多い。例を挙げると、品川宿、鈴ヶ森のあたり、横浜の権太坂、品濃坂のあたり、箱根の畑宿からの旧道など。そういう区間は再度歩いてみた。変貌は激しいが昔の面影が残っている所を再確認し、それはそれで一つの満足にもなった。
 そこで、街道を歩いてみたい希望がある方は、是非点でなく線、つまり点と点の間の区間を歩いて頂きたい。旧道で歩くにいい区間はまだかなり残って居る。昔の姿が比較的よく残って居る旧道を線(区間)で歩くことをおすすめする。
 以上の観点から、今回その東海道の旧道について、比較的旧東海道の面影を残し、古来歌枕や旧跡で有名な所を含む幾つかの区間について、歩くことを検討される方のために、以下お役に立ちそうなポイントにしぼってご紹介したい。

(注1) 参考文献としては、前述の県史、市町村史、或は江戸時代の街道案内など多数あるが、引用の際明示する。ただ今井金吾著「今昔東海道独り歩き」だけはここに挙げておきたい。私が街道歩きを始めた時にはまだ出版されていなかったので、文献漁りや現地踏査に大変な苦労と労力をかけたが、もしその頃この本が出ていればどれくらい楽であったかと思ったものである。紀行文を書くに当たっては大いに参考にした。学者が書くこの種の解説本は往々にして文献だけで現地踏査をしないまま書くことが多いので、実際に旧道を歩くためには何の役にも立たないことが多い。その点この本は非常に有益である。文中引用する場合には「今井本」としてある。但し、非現行な部分や、解釈の違う点などについては、私の実地見聞、史料調査で訂正した。

(注2) この紀行文は1988年から1990年にかけて或雑誌に連載したものである。それを一部補正して掲載する。ただし基本的なものは訂正していない。その元は1965年(昭和40年)から1987年(昭和62年)の間に「旧東海道」を歩いた記録に基づいている。従って現在の景観とは合致しない所があるが、当時の記録として残した。 なお行程など参考のために記載したが、1990年頃のもので交通の便はその後大きく変わっているので注意を要する。例えば鈴鹿越えのバスの便は今はない。田村神社前には道の駅ができているが、バスの便はないようだ。

 

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