(一〇)絶好のハイキングコース・美濃の山道(その二)
     細久手→琵琶坂→大湫→大井

 細久手から大湫へ行く道は入り口が分かりにくい。中学校の敷地などで旧道が分断されているからである。道標もはっきりしない。私は土地の人に2度聞いて探しあてた。探しあてた道は舗装され改良されたいい道であった。しかも車は殆ど通らない快適な道である。20分ほど歩くと「奥之田一里塚」がある。これは昔の原形が保たれて居て珍しいものとされて居る。またこのあたりは「ハナノキ」の自生地で瑞浪市の天然記念物に指定されて居る。私は植物の知識が乏しいが、参考書によればカエデ科の落葉樹で春に葉が出る前に枝先に美しい紅紫色の花が群生し「ハナカエデ」ともいう。秋の紅葉もよい。
 やがて弁天池、江戸時代の紀行文にものっており、池の真ん中の小島に弁財天が祀られている。静かなただずまいで、あまり俗化されず昔のままなのがよい。しばし休憩。
 再び林の中の道を行く。北野天神へ行く道が分かれる。やがて北野、そして八瀬沢。ここには犬の訓練所があった。静かな林の道を歩くうち時々犬の吠声を聞いたがこれだったのかと納得。その犬の訓練所で電話を借りる。ここまで一軒の人家もなかったし勿論公衆電話もなかったからである。ここの主人の話しでは、ここは私営で犬の飼い主から3ケ月から1年間預かって訓練する。このような施設が他にもあるし、また警察犬の訓練所もあるという。犬の吠声がうるさいから人里に近い所ではできないということである。こういう所は以前なら電話は加入区域外か特区で引くのが難しかった所だが便利になったものである。ここでタクシーを呼ぶ。経営者夫妻は親切でタクシーを待つ間いろいろともてなしてくれる。有り難い話しなのだが、私は生来犬は苦手である。獰猛そうな犬を何頭か訓練中であったが、うさん臭い目で見たり、中には休憩中で寝そべって居た大きな犬が突進して来たりする。事務所の応接間の扉は開け放されて居るので気味が悪い。タクシーが来たので早々に辞去した。しかし犬の訓練所を初めて見、その話しを聞いて大いに参考になった。私の場合はこのルートをここで区切って2区間として歩いた。従ってここからJR武並駅まで日は違うがタクシーで往復したことになる。
 さてこの犬の訓練所から少し行くと「東海自然歩道」が左から合する。そして開けた所に数軒の家がある。もと「八瀬沢立場」のはずだが、何の痕跡もない。ここから「東海自然歩道」と別れて山道に入る。やがて石畳道になる。補修された様子はないがわりとよく残って居る。このあたりはいい山道で上りもそうきつくない。この坂を「琵琶峠」というが、峠の手前に「八瀬沢一里塚」の跡がある。「琵琶峠」は木曾路名所図会に「琵琶嶺ー細久手より壱里余にあり、道至って険しく、岩石多く登り下り十町許也、坂の上より丑寅の方に北には加賀の白山、飛騨山の間より見ゆる。(中略)西に伊吹山見ゆる」とあり、ガイドブツクにも同様の記述をしているものがあるが、私の行った時は木々が茂って居たせいか、晴天であったにもかかわらず、そんなに大層な山々まで見えなかった。しかし眺望は確かにによい。
 峠を下った所にわりと大きな建物がある。大湫病院である。そのすぐ先にあるのが「二つ岩」。「母衣岩」(ほろいわ)と「烏帽子岩」(えぼしいわ)で、江戸時代の道中記のどれにも紹介されて居る目立つ大きな岩である。この先5分程歩くと視界がぱつと開ける。ちょっとした盆地になっている。やがて二股道にかかる。右がJR釜戸駅へ行く道、左が旧中山道で、もと宿場大湫の集落へ入って行く。
 宿の入り口に高札場跡があり小公園になっている。街道沿いに古い町並が続く。昔の道中記には「宿悪敷、山中にて不自由成宿也」とか「駅舎のさま細久手に似てそれより人家すくなし」とあるが、現在でも細久手よりも町並が小さい感じだ。ただ弥次喜多の「続・膝栗毛」には「大久手の駅ちかくなれば、このあたりの宿引みな女にてぱらぱらと立ちかかりふたりを取巻」泊りをすすめられ一軒に案内される。「さっそくふろもわきて入しまいたるところ、此宿のめしもり二三人づれにて客のある内をそそり歩く」とあり、宿引きや飯盛女が多かったように書かれて居るが、他の道中記との差があり過ぎ、時期の違いなのか、読物としての弥次喜多道中記の誇張なのか、速断できない。ちなみに当時の中山道宿村大概帳の記録によれば、宿の人別、男170人、女168人、計338人。本陣1、脇本陣1、旅籠30となっている。
 宿の中程に神明社があり、大きな杉がある。樹齢1200年ともいわれる古木で県の天然記念物になっている。宿をはずれると坂道になる。「寺坂」という。手前に宗源寺という寺があるからである。この坂の途中から大湫宿の全景が見下ろせる。
 この先幾つもの上り下りの峠道が続く。「十三峠」ともいう。13も峠があったかどうか数えてみなかったが、何回ものアップダウンはかなりきつい。30分も歩くと左手に石室があり、三十三体の石仏が納められて居る。阿波座の観音さまと呼ばれて居るものである。この付近にはゴルフ場があり、プレーする人々の声が時々聞こえてきたりする。左手の山が権現山だがその山裾に「権現山一里塚」が残って居る。ほぼ完全な姿で2基ある。但し塚は雑木、草で覆われて居る。ここで一休みしていたら一人のハイカーに出会った。カメラ一式と三脚を持って居る。しばらく雑談したが、このルートを歩くうち何組かのハイカーに会ったが、ハイキングコースとしては、わりと利用されて居るようである
 この先が下り坂で「炭焼き坂」といい、石畳の道になっている。下りた所に昔「炭焼立場」があった。今は数軒の家があり、その標示板が立って居る。左手に石段があり、「刈安神社入口」という石標がある。ここは、また権現山への登山口でもある。
 ここから10分ほど歩いた所が大久後、数軒の家がある。ここも昔「立場」だった所である。二股があり、左への細い道が旧道である。再び森の中の山道となる。細径が別れて居る所が何カ所もあり、道標が無ければ迷うところだ。2kmほど行くと平地がひらけ、舗装された広い道もある集落に出る。このあたりに昔「深萱立場」があった。今もこの辺の中心らしく恵那市役所武並支所があり、バス停もある。橋を渡り、上り坂を少し行くと左手に神明社がある。その入り口に道標があった。古いものではないらしいが、柔らかい石のせいか彫られて居る字がぼけていてよく読めない。多分「里すくみ坂」と書いてあるものと思われる。というのはこの坂がそういう名だからである。石畳の道がしばらく続く。ここは新たに補修されたものらしく、コンクリートが厚すぎてその中に石畳が埋まって居る感じだ。続いて紅坂(べにさか)となり、一里塚跡がある。「紅坂一里塚」と言って居るが、江戸から89番目のものである。この塚も樹木が茂っては居るがわりとよく原形が残って居る。
 ここからは、下り坂、そして上り下りのある道だが、それぞれの坂に名がついて居る。30分ほど行くと改修された川に出る。あたりは小公園になっていて、その川に架けられてに居るのが「乱橋」、これも最近新しく架け替えたものらしい。立派過ぎるのが少し不満だが、里すくみ坂、紅坂の石畳道など、恵那市が旧道保存に力を入れて居ることがよくわかる。道は整備しなければ荒れ果ていつかは消滅してしまうから、恵那市のその努力は大なるものと言えよう。橋を渡ると上り坂になる。ここも石畳の道が最近補修されて居る。石畳の坂道を上りきると、林の中の道。その林の中に大きな石標があった。「左、伊勢名古屋道、右西、京大阪道」とある。明治8年に建てられたものである。現在、左伊勢名古屋道は草茫々で通れない。
 そこから少し歩くと広い道に出る。この道は最近出来たものらしいが、そのため旧中山道は中断されてしまった。旧中山道へ入るにはその広い道を500mくらい行ってから右折しなければならない。その手前に右折する細径があるが、それは国道槙ケ根へ下る近道になつている。
 旧道に入つて間もなく「槙ケ根の一里塚」跡がある。塚らしいものが両側に残って居る。このあたり、木が切り払われて眺望がすこぶるよい。すぐ下り坂になる。眺望のいい所が何カ所もあり、恵那市、元の大井の市街、そして田圃と高速道路と鉄道と、新旧のパノラマが展望出来る。その背景は、恵那山を主峰とする山並みである。最近恵那市が整備して石畳の道になった。はじめに来た時は急坂のひどい道だったが、再度歩いた時にはこの整備のおかげで歩きよくなって居る。但し江戸時代の道そのままかどうかは分からない。坂の中途に「西行塚」がある。古い五輪塔があり西行の墓と伝えられて居る。
 坂を下り切って田圃の道を行き、鉄道の踏み切りを渡ると広い道に出る。もとの国道で、別のルートにバイパスが出来たので、車はいくらか少ない。それでも長いこと山道を歩いて来た身には平坦で楽だというよりは、車のわづらわしさ、町のほこりと喧噪が気になる。すぐに神明社の入り口があり、そばに「西行硯水」がある。小公園になっていて、やたらに石碑が立って居る。その一つに、

「道の邊に清水流るる柳かげ しばしとてこそ立ち留まりつれ  西行」

とある。
 この地には西行にちなむ伝説が多い。さきの「西行塚」、この「西行硯水」、そして大井宿はずれにある長国寺は西行が病んで死去した所だと伝えられて居る。
  この先広い十字路に出るが、細い道の方に入る。間もなく橋を渡る。中野橋である。橋のたもとに「観音堂」がある。このあたりは旧中野村だが、現在恵那市で旧大井宿と連続していて境が分からないくらいである。元の大井宿は恵那駅通りを越え、阿木川の大井橋を渡つたところからである。
 ここでは信濃屋という旅館に泊まった。予約なしで駅前の公衆電話から電話帳をめくって適当に選んで申し込んだのだが、古いがいい旅館であった。ここで私は生まれてから初めての物を口にした。「蜂の子」である。いつもあるわけではないが、今朝、里の人が取って来たものだと言って居た。信州生まれの人から蜂の子を取って食べたという話しを聞いたことは何回もあるが、私にとっては貴重な初体験であった。

 

☆行程 
細久手→大湫 6km  大湫→大井(恵那駅) 12km  計 18km 約6時間

☆交通 
細久手へ  JR中央線瑞浪駅からバスもあるが本数が少ないのと休日運休なのでタクシー利用のほうがよい。 大井から  JR中央線恵那駅から名古屋まで 1時間

☆地図 
国土地理院 2万5千分の1 御嵩、武並、恵那

☆参考  「立場」について  
宿場と宿場との中間に置かれた休み場所で、宿場間の距離が遠い区間では何カ所も置かれた例がある。前回述べた区間では、西洞、津橋、平岩、今回の区間では八瀬沢、大久後、炭焼、深萱、にもと立場があった。茶屋があり宿泊はできないが、湯茶、所によっては食事もできた。大名などが休息するところは指定されて居て「茶屋本陣」といった。この先、塩尻峠を越えた今井には、「元今井茶屋本陣跡」の屋敷が残って居る。

 

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