(第1)  勢揃坂

(1)原宿の勢揃い坂と鳩の森八幡
「勢揃い坂」或いは「勢揃い橋」などという所は各地にありますが、この原宿の勢揃い坂はそこを通る道が古くから「鎌倉街道」といわれて来た道なのです。ここで「勢揃い」というのは、今で言う「観兵式」「観閲式」に当たるもので、戦地に向かう武士団が集合し作戦を示され、統一した軍勢として編成され、忠誠を誓い勝利に向かって気勢を挙げるもので、その地名、伝承は関東各地には幾つも残っています。
この場所は渋谷区神宮前2丁目2、3、番地のあたり、龍巌寺の前の坂道で東側は都営アパート、国学院高校の敷地です。ここへ行くには、地下鉄表参道駅で降り、西側北の出口から行くのが分かりやすい。出口を出ると広い道路で、それは原宿駅への表参道です。すぐ右手に「原宿2丁目商店街」というアーケードが立っています。その道に入ってあまり歩かないうちに突き当たりです。そこを左折、すぐロイヤルホストの所を右折。その先ほぼ真っすぐな道が続きます。青山通りに近いので、しゃれたブチックなどがある繁華な商店街です。そして外苑西通りの広い道を信号のある交差点で越して行きます。そこからは細いが静かな道で、ここからが古い道で鎌倉街道といわれて来た道です。やがて熊野神社の緑が見えて来ます。その熊野神社を過ぎると間もなく勢揃い坂があります。
勢揃い坂は坂というほどの坂ではなく、傾斜も緩く短い。龍巌寺の隣の寺、慈光寺の所でほぼ直角に左へ曲がって行きます。再び外苑西通りを越え右へカーブした後、広い道を過ぎ坂を上ると鳩の森八幡に着きます。外苑西通りから鳩の森八幡の間は舗装されたいい道になっていますが、古い地図、明治の地図を見るとかぼそい道で、途中は畦道のような感じです。ところで鳩の森八幡は別に千駄ケ谷八幡ともいわれ地元で古くから信仰されて来た由緒ある神社です。その前を通る道は地元で鎌倉街道と言われて来ました。また立派な富士塚があるのでも有名です。富士塚とは富士山信仰の象徴で、江戸時代から明治大正、昭和の初期にかけて盛んでありました。実際に富士山登攀できない人々がここを信仰の心を持って登ったものでした。そこには富士山を登攀した人が富士山の土、岩塊を運んで来たものも積んであるそうです。ここを北へ行けばJR千駄ケ谷駅です。(私の著書『中世を歩く』p74.参照)

◇以下文献を検証して見ます。
◆◆勢揃い坂について『新編武蔵風土記稿』から(意訳)(同書、第1巻、p227.)
1、原宿村、当所は古え相模国鎌倉より奥州への往還が通っていて、宿駅を置いたところである。それゆえ原宿の名がある。
2、村内、龍巌寺の傳に、昔源義家が奥州へ下った折り渋谷城に滞在し、当所で軍勢を集結したという。今でも門前の坂を勢揃い坂というという。当時街道であった事が分かる。
◆◆鳩の森八幡について『江戸名所図絵』から(意訳)(同書、角川本、p259.)
1,千駄ケ谷八幡宮、昔、この地は深い森林で、時々瑞雲が出現していたが、ある時白い雲がたなびき、村人が驚いてこの地に来て見ると多数の白鳩が飛び去ったという。そこでこの霊瑞から小さな祠を造り鳩の森と名付けたという。
2、当社の前の道は鎌倉街道の旧跡であって、今でも字の名を鎌倉路という。青山の原宿よりこの地を経て、大久保へ至っていたものである。

(2)所沢市久米の勢揃橋と将軍塚
西武線東村山駅で降り西口から北へ真っすぐ伸びる細い道を行きます。しばらく歩いて西武線の踏切を越えますと、その先に新山手病院があります。ここはかって保生園という結核療養所があった所です。この病院の前の細い坂道が鎌倉街道といわれて来た古道です。深い緑の下を登って行く細道で最近まで未舗装でした。登り切ると緑地になっていていい散策路です。八国山緑地というようです。この緑地の中ほどに塚があり大きな石碑が立っています。元弘3年(1333年)鎌倉幕府を倒そうと上州で旗揚げした新田義貞は鎌倉街道上道を南下し、幕府軍と小手指原(所沢市)で対戦しましたが苦戦を強いられ、分倍河原(府中市)の合戦でようやく勝利を得ました。この時義貞がこの地に一時滞在し、旗を塚に立てたことから将軍塚と呼ばれるようになった伝えられています。前掲の江戸時代の地誌『武蔵風土記』には「ここに一つの塚あり、これを将軍塚と呼ぶ。」とあり、この塚は富士塚とも呼び、あるいは古代の塚ではないかとも記されています。またここには以前青石塔婆が立っていました。元弘の新田義貞の鎌倉攻めの時、義貞に従って戦死した武士の菩提を弔うために立てたものといわれていますが、現物は近くの徳蔵寺に所蔵されています。  ここは狭山丘陵の稜線で東京都と埼玉県を分ける境界になっています。南の東京都側は緑地が残っていて保護されていますが、埼玉県側の北側斜面は西武グループによって開発され大規模な住宅地に変身しました。この住宅地の坂を下って行くと、小さな橋がありますが、柳ヶ瀬川に架かる橋で勢揃橋といいます。何の変哲れもない小さな橋ですが、前記の義貞が鎌倉攻めの時その軍勢が勢揃いした所だと伝えられています。
この道を北へ行くと長久寺があり、その先鎌倉街道といわれて来た古道がずっと続いています。細い道ですがほぼ直線の道で新光寺の前で終わっています。この新光寺は古い寺で室町時代道興准后の『廻国雑記』にある観音寺であるとされています。
ここから西武線所沢駅は歩いて10分くらいです。(私の著書『中世の道・鎌倉街道の探索』pp190.参照)

 

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